昨日の投稿久々に中国新聞「広場」投稿(7/9) | 広島&東京 ライター&カメラマン 門田聖子(もんでんせいこ)

・・・の続き

7月も新聞に名前を掲載してもらったの巻
(7/9付 中国新聞「広場」欄)
写真はまた落選したけどな・・・

カシワバアジサイがもらわれていった話を書きました
なぜペンをとったかというと・・・

「門田さんちのカシワバアジサイ、きれいね」

「実はそれはもらった苗なんです」

「え!実はうちのアジサイもよ」

という会話をしたからでした

「もしかしたら、団地内には、まだまだアジサイの苗もらった人もいたかもね」

確かに!!

掲載直後に、アジサイをくださったおうちの方からすぐ連絡がありました

「義父のことかなーなんて思いながら。団地の紫陽花、増えてますよね。これからも頑張れます」

そうですそうです!!!

確かに団地内にアジサイが増えた気がするな・・・

15年もたてば立派に花房を付けるだろうし

アジサイが咲くから、ではなく、こういった会話ができるのがいいよね
うちの団地はあたたかい♡

して、「広場」欄は
12歳から投稿しているので40年になりました
昔は「世代のポスト」っていう、掲載してもらいやすいコーナーもあって、さんざん図書券もらって
欲しい本や参考書、漫画を買っていました
うち貧しかったから助かった

途中、結婚して苗字が変わっているのに
今でも「あなた、小さいころから投稿してたわよね」と言ってもらうことがあります
私は12歳のときにはすでに「書くことを仕事にしたい」と思っていました
だから私はある意味、夢をかなえているわけですが・・・

でも一番の夢は中国新聞の記者でした
あと少しだったんだけどなーーー(恨み節)
そう、私は、新聞が、中国新聞が好きなんですよ笑!

新聞の力は変わらない(と思う)ものの
購読者は減っていると思われ・・・
WEBで閲覧する人は一定数いても投稿欄までわざわざ開いて読む人は減っていると思われ・・・
(いずれも私調べ)

新聞に名前が掲載されたときの反響は
私が初めてフルネームが掲載された40年前と比べるともう・・・

19年前に中国短編文学賞を初受賞したときは
当時、縁もゆかりもない都市に住んでいたけれど
知らない人にも突然声をかけられるくらいだった

今回の受賞に際し、本当にたくさんの人から祝っていただいたけれど
19年前より少なくて
あ、それは、私の求心力の問題?笑