広島のタウン誌、Winkを担当させてもらって、もう10年近いだろうか・・・
人気雑誌に署名を入れてもらってありがたや・・・

おもには新店の紹介をさせてもらっているが、
新店なので、先方も慣れない毎日で大変なのが分かる・・・
そんなこんなを承知で取材対応してくださったなら、その気持ちにはこたえたいと思う

Winkには思い出がたくさんあって感慨深い

私は社会人になったとき、少々の嫌なことは我慢しようと決意していた
社会保険が、とか、福利厚生が、とか、そういう社会制度うんぬんではなく、
アルバイトと違って「社会人である」「正社員である」ことが、自分の価値を高めるように思ったし、苦労して苦労して苦労して私に「大卒」という経歴を与えてくれた両親への感謝もあった
事実、両親は、私の仕事はよく知らないものの、昇格していくことを喜んでくれていたので、「もし転職するならそれなりの会社へ」とも決めていた
ここでいう「それなり」とは、①自分の夢を叶える業種 ②名の通った大手
のどっちかだった

入社した会社は、一言でいえば「人間関係は最高によく、仕事内容はサイアク」だった

毎日転職を考えた

入社して数カ月して、Winkの募集を見つけた
どうしても入社したいと思った
私と同じように「マスコミに就職したい」と思っていた友人が、そうそうにフリーターになっていたので、「一緒に受けよう」と話した
面接は好感触だったし、自信があった

・・・が、採用されたのは、その友人だった
友人は私に感謝を伝えてくれ、「すぐに入社できる人がほしかったみたい」と言ってくれたが・・・
落ちた本当の理由は分からない
とても残念だったし、その友人がたった1年で退職したのも恨めしかった(笑)

私はそのまま会社に残るしかなかった

人間関係、仕事内容のどっちも悪ければすぐにでも辞めただろうに、私は上司の引き立てがあり過ぎて、全社で表彰されるくらい成績が良く、オーストラリア旅行までゲットしてしまうほどだった
昇格も早く、給与もボーナスもあっという間にあがった
そうそうに部下がつき、部下のために、信頼する上司のために頑張るという毎日・・・

しかし、仕事内容は、365日中、364日は嫌で嫌でたまらなかった
(1日は結果が出た日)
毎日辞めたいと思った
なぜなら、「人のためになっていない」仕事だったからだ
この仕事については、いつか小説に書きたいくらい

あるとき、父の余命を知らさせる事態に陥り、私は混乱した

まだ何も親孝行をしていないと思った
改めて退職を考えた
この仕事をしていては、ただでさえ心がすり減るのに、父のことを考えられないと思ったからだ

ただ、当時の私には役職もあれば部下もいる、顧客もいる
引き止められるわ辞表を破られるわで、退職するのは簡単ではなかった
いろいろ配慮してもらい、結果として「まる5年勤務」という形で退職できた

「まる5年」勤務したおかげで、当時8割支給された教育訓練給付金を受給できたし、転職するときに人材派遣会社が「営業の即戦力」として、好条件の仕事を紹介してくれた
5年仕事をしていなければ、転職できなかったであろう、大手広告代理店だった

転職してしばらくして、営業部から媒体部に配属になり、今度はWink担当者とやり取りをするようになった

ここでもご縁を感じた

その後、出産で広告代理店をやめ、引っ越し、フリーランスとなってまた、Winkとご縁があった

とても、とてもすてきなご縁が巡ってありがたいと改めて思う