お祝いの席に、実家の母が腕をふるってくれるのはまさに家庭料理で
ステーキとかそんなものは出てこないし、求めていない
逆に私たち子どもは、母がガスで煮る「煮しめ」とか「煮魚」とか、最近では「なます」が大好きだ
食材の良さが存分に出ていて、それこそ一流料理店にもまねできないのでは・・・

料理といえば、少し前に気になった言葉があった
北海道生まれの三國 清三シェフが、著書「三流シェフ」を発行されたときのTVアナウンスだ
私は三國シェフの料理を食べたことはないが、もちろんお名前は聞いたことがあるし、有名レストランのオーナーシェフであることは存じている
ご苦労をされたこと、ここまでの道のりなどが著書に書かれているのであろう、ぜひ手にとってみたい

ここまではよいのだが・・・

アナウンサーか、コメンテーターか、誰かが
豊かな家に生まれて幼いころから美味しい料理を食べてきたわけではない三國シェフが・・・なぜフレンチの巨匠に・・・
という紹介をしたことに引っかかった(ちょっと違うかもだけど)


ん?
豊かな家に生まれて0歳からお金をかけた食事を口にしていないと、素晴らしいシェフにはなれないし、漁師の家に生まれた三國シェフは、イレギュラー、異端だといいたいの??

 
料理人は、条件として「幼いころからお高い食に触れている」ことが必要なのだろうか?

だとしたら、料理人は、お金がある人、もしくは幼い頃から料理の知識が深い人のつくる食事を食べた人、が優位ということになってしまう

三國シェフはそういう一面はなかったであろうし、そこを凌駕した先の先にまで努力を重ねてたどり着かれたのではないか(勝手な予想)

だから、心も舌も満足する逸品が出せるのではないか

 

「生まれ」なんて関係ないと思いたいし、関係するとすれば大いに両親に感謝したい

私は貧しい家に生まれたけれど、今でも祝い事があると、家族全員が集まって手料理を囲む家でよかったと心から思っている