【随筆】
「いい文章を書く」講座 受講記念文集より

二人の母と着物

義母は、美容師、婚礼着付け師として励み、若くして自分の店を持った。
いつもきちんとした身だしなみで、黒い服の似合うすてきな人だった。
子どもは男の子しかいなかったので、長男の嫁となった私をそれはかわいがってくれた。
お茶席や結婚式などがあると嬉々として着物を着せ、髪をセットしてくれた。
たくさんある着物や帯を広げて「これは全部あなたにあげる」が口癖だった。
女の子の孫が生まれると、今度は「これは全部孫にあげる」と言い、そのたびに「気が早い」とみんなで笑ったものだった。

そんな優しい義母は病に倒れ、あっという間に亡くなった。
一周忌を迎え悲しみが少し癒えた頃に、義父が「おっかあの着物は売ってしまおうか」などと言うではないか。着物だんすは場所をとるし、義父の手元にあっても邪魔なだけなので、私は思い切ってそれらを全て家に持ち帰った。
古いたとう紙の隅に「小紋・赤」とか、「付け下げ・白」とか書いてある義母のくせ字が懐かしかった。
整理を兼ねて広げてみると、義母が私に着せてくれたのは、格の高い訪問着ばかりだと気付いた。
義母の気持ちが感じられて目頭が熱くなった。
最後に、しわ一つないたとう紙が出てきた。
広げると、それはピンク色の豪華な振袖だった。
流行に左右されない、義母の好みそうな古典柄の一枚。
義母は、自分の命が短いと知って、かわいがっていた孫のためにあつらえたのか、それともずっと前から用意していたのか、今となっては誰にも分らない。
この振袖を着た孫の姿が見られないと悟っていたとしたら、悲しい。

実家の母には何度か、義母が着付けてくれた着物姿を見せたことがある。
いつも「きれいね」とか「よくしてもらってありがたい」と喜んでいた。
義母亡きあと、着物姿で実家に帰ったときのこと。
母が「時間はかかるけれど、お母さんも着付けできるんよ」と言う。心底驚いた。
実家で共に暮らしていた頃は、互いに着物はもちろん、浴衣すら着る機会はなかったし、結婚してからも着付けのことなど一言も言わなかったのに。
私の母は、生涯専業主婦で、目立つことを嫌うおとなしい人だ。
結婚した私にあれこれ口を出すことはなかったし、ましてや着物について語ることなど一度もなかった。
義母に気を遣っていたのだろうし、かわいがってもらっていることへのうれしさのほうが上回っていたのだろうと今なら分かる。

義母と過ごした年数は、振り返れば意外と短かった。
そして私を育ててくれた母のことを、実はよく知らないことにも気付いた。
ただ、どちらの母も、私に深い愛情をもって接してくれていた。
着物を着ると、二人の母の気持ちをまとっている気がする。