以前、身体障害者の兄の話を書いた

勢いでガンガンに書いた(コチラ)

兄の存在を「恥ずかしい」とか「いなかったらよいのに」と思ったことは一度もない

そればかりか、きっと私が背負うはずだった「業」を、兄が、人生をかけて全部引き取ってくれたのだ

私は今でもそう思っている

 

例えば子どものころ、「兄のおかげで」ということが、「福祉」という二文字で感じることがあった

よくしてもらえた、補助してもらえた、支援があった・・・そういうこと

6歳で兄は施設へ入所したが、それを金額に換算することはできないくらいの恩恵をあずかっている

「福祉が!」と声高に批判するひとがいるが、わたしは「福祉のおかげ」と感謝する

選挙でも「日本の福祉制度に感謝しています、もっとよくしましょう」という人がいたら一票を入れたいくらいだ

 

が、しかし、私はそういう感情を「家族」という小さい単位の中で感じるが

一歩外へ出て、何ら苦労もない一般家庭の人が、障害者のことも何も理解のない人が、

私や私の家族に対し、兄のことでどうこう言う、話す、指図する、差別する、そんなときは多いに反発してきた

何も分からないくせに、余計なお世話だと心底思う

そんないくつかの寂しい思い出の一つに「案ずるより産むがやすし」があった

 

私は小学生だった

とある田舎の店の奥さんが、母に、兄のことを「案ずるより産むがやすしよねえ」と言った

話の前後は分からないが、分かっても分からなくてもいい

なにが「やすし」なのだ???

母と兄の壮絶な人生の、どこに「やすし」があるのだ?

そしてあんたは何を知っているのだ?

小学生の私でも分かるようなことを軽々と・・・

今でも覚えているのだから、そうとう腹が立ったのだろうな

それを口にしたおばはんの顔も覚えとるわ!

 

・・・と、話は大いに反れたがkindle出版について

昨年の最終選考通過作品(Word)、プレビューではこんな感じなのだそう

ええ、Wordがあればすぐできるのかあ

これこそ「案ずるより産むがやすし」なんだ

それが書きたかったのに、違うことを思い出してしまったぢゃないかっ!!

 

もうちょっとkindleについて勉強して、「惜しい作品」として出版しようと思う

今日の日記おわり