私の母は貧しい中、おしゃれも贅沢も一切せず、私たち子どもを育ててくれました。もうすぐ母の日。畑仕事と孫、猫をかわいがりながら過ごす母に、私は何ができるんでしょう。

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鉛筆も消しゴムも買えない。仕方がないので、ひと目を盗んで小学校のゴミ捨て場に行き、まだ使えそうなちびた鉛筆や消しゴムを拾ってきて使った。子供たちが楽しみにしている運動会。運動着のないわたしは、学校を休んで出ないことにしていた。遠足には一度も行っていない。このころ、紅ショウガの「ごちそう」をよく食べた。白米を食べる余裕はまったくなく、主食はいつもオカラ。オカラは当時二銭です。おかずは紅ショウガ。そんな紅ショウガさえ口に入らないほど困窮した。(中略)葬式の日。わたしは紅ショウガをいっぱい買ってきた。おっ母さんと貧乏をして夜逃げばかりしていた大阪時代、毎日毎日の食卓を飾った紅ショウガだ。その紅ショウガを一個一個花びらのようにていねいに薄く切りそろえた。何枚も、何枚も、紅ショウガの花びらを作ってはおっ母さんのひつぎにまいた。どんなきれいな花よりも、どんなに高価な花よりも、一枚一枚切り刻んだ紅ショウガの花こそが、何事にも代え難い、わたしのしてあげられる最後の親孝行でした。(田端義夫「バタヤンの人生航路」より)