先日卒業式に列席した

最後に担任の先生が、控えめに、でも心に残ることを言っておられたので、自分のためにここに残しておく

(もっといい話もあったことも付け加えておく)

「うちのクラスは自由であった」

ここでいう自由とは・・・と説明されるのだが、つまり38人全員が「自由」であったことが「自由だった」のだと

自由であることは、服であったり発言であったり、いろいろあるが、

自由であることが自由であるというのは、そうか、そうかと・・・(私だけの解釈にとどめる)

 

今日は兄の面会に行った

兄は生まれついての脳性小児まひで、障害者手帳1級

重度の身体障害者だ

知能は小4程度と聞いている

しかし兄の場合、知能が小学生程度というのが幸せなのか不幸なのか・・・

わずか6歳で、周囲の勧めにより、障害者施設へ入所し、以来ずーーーーっと50年近くそこでお世話になっている

最後まで入所に反対したのは、いまは亡き父だったと聞いている

母だって反対したかったに違いない

だって、わが子だから

初めてお腹をいためた子どもだから

昔のことで本当のことは分からないし、知ろうとも思わないが、産婦人科でずっと逆子といわれていて、「治った」とのことで初産にのぞんだ母は、1日以上分娩台の上で苦しみ、母体が危ないからと、子どもをあきらめることにしたらしい

帝王切開の選択肢があったのかなかったのか、とにかく兄は、4000gを超える大型の赤ちゃんで、1日の難産に耐えられず仮死状態で生まれたそうだ

誰もが死産だと思い、父曰く「うち捨てられた」遺体は、その後、何と息を吹き返したという

奇跡・・・

しかし、生きてよかったのだろうか?

その後、生きえた兄はもちろん、深い愛情を注ぎ続けた父も、きっと懺悔の念を忘れたことがないであろう母も、兄をとりあげた医師も、母の年老いた両親も、少なからずや妹である私も、不幸を感じることになったのではないか・・・

 

とくに両親の、兄への思いは、5歳の私には分からなかったが、年を重ねるにつれていたいほど分かるようになる

面会に行くと、寝たきりでせいぜい寝返りをうつしかできない兄のところへ、いつも小さいクソガキがまとわりついていた

兄の名前を呼んでいたし、動きは機敏で、障害者とは思えない

むしろ健常に見えた

このガキが、いつも兄をつねったり、性器をにぎったりするのだ

兄の手にはつねられた痕があったし、ガキが近付いてくると思い切り手で振り払おうとする

誰だって痛いのだ

この施設は、本当に本当によく見てくださる

一度として「ん?」と思ったことはない

深く感謝している

しかし、ガキにくっついてくれるわけではないから、動きの小さい、声も小さい兄は、毎日のようにやられてしまうのだと思う

月に2回の面会で、このガキの悪事を見るということは、兄は、毎日、毎時間、拷問のようなことをされて、肉が傷つくまで痛めつけられているのだ

幼い私が分かっていたのだから、母はきっともっともっとよくその事実を分かっていたと思う

しかし、母は、妹である私のために、兄をそんな場所に預けるしかなかった

私の将来も大切なのだと・・・私を選んでくれたのだ

 

親が恋しい6歳で、誰一人知らない施設へ預けられ、その日から集団生活

障害者の生きる世界は当時、それが当たり前だった

そして、父も母も私も、少し楽になった(と思う)

面会日に行くと、兄は喜び、帰り際に必ず泣く

家に帰ると、施設に帰る朝は必ず泣く

何回、外泊を延長しただろう・・・

兄の知能がもっと低ければ・・・

兄が、人と意思の疎通ができなければ・・・

兄がもっと元気ならば

兄が健常ならば

どんな人生があったのだろう

両親も、兄も、全く違う人生を送っていたであろう

毎日、体を傷つけられることもなかったであろう

知らない人と過ごすこともなかったであろう

唯一の救いは、のちに、兄を痛めつけていたクソガキが、遠くへ転院したことだ

 

兄に自由はなかったし、これからもない

プライベートも、身体も、恥ずかしさも、生死さえも、人に委ね

ときに痛みを伴い、意見を無視され、丸め込まれ、それでも施設で生きるしかない

「また今度ね」「また来るね」「元気でね」と根拠のない言葉で去っていく私

 

兄との面会は、私にとって懺悔だ

ごめんね

私だけ自由を謳歌してごめんね

ずーーーっとそこで暮らしてごめんね

大好きな両親を奪ってごめんね

自由をあげられなくてごめんね

 

でも、それは人生のほんの一瞬の気持ちで、私はこのPCを閉じると全てを忘れ

兄を頼むと言い残して死んだ父の言葉も忘れ

面会日の別れ際にわーんと泣く兄を見て泣く母のことも忘れ

ああ仕事が忙しい、明日の食事めんどうだな、旅行行きたいな、早く春にならないかなと能天気なことを思いながら、自由に生きていく

 

自由とは、なんと尊いのだろう