今月は2回も、中国新聞に執筆できました☆
私の中で、中国新聞は特別です!!

子どものころから家には必ず中国新聞があり、
父が順番をめちゃめちゃにした新聞を読んで
切り抜いてスクラップしたものでした

私が初めて投書欄に掲載されたのは小6
以来、50回は掲載されたかなあ・・・
苗字が変わっても「子どものころよく投稿してたよね」と言われる
新聞はいまよりもっともっと購読率が高く、私には、唯一無二の情報源だった
(事実、当時はそうだったと思う)
いつしかそこに書くことが目標になった
私は小学校時代にはもう「記者になりたい」と言っていた

そしてどこかで「なれる」と変な自信があった
私は小学校から大学まで、書けば入選入賞、作文や創作ではかなりの結果を出していたから
・・・これがいけなかった
就職活動はいわゆる「超氷河期」
どこもうまくいかなかった
実績を披露したり、やる気を見せたりする場面までいけない
最後まで迷ったタウン誌の出版社は「あなたは次点。1年間のアルバイトを経て入社ではどうか」と言ってきた
そこになぜかアルバイトなのに「購読100件」という足かせ・・・
(ひどい)
今思えばひどいな
これって、正社員をちらつかせて新規購読営業させてるじゃん!!

こちら、5年後に廃刊・・・まあ業績もヤバかったんでしょうね
あんなにあこがれた新聞社は、大阪まで広げて就活をしたけれど、一切ダメだった
中国新聞はあと少しのところまでいったけれど、重役面接でアホな問答をしてジ・エン
あの時に戻ってちゃんと答えたい
こんな記事が書きたいと言いたい涙

・・・が、5年目
私は、中国新聞と一緒に仕事ができる広告代理店に転職!
広告局の皆さんとも仲良くなれたし、
楽しかったなーー!!

フリーになってからは、中国新聞が発行するフリーペーパーにご縁をいただき、
Cueや、その後継紙の「アシタノ」では時々執筆させてもらっています
いわば長年の夢が半分叶った瞬間でしたなー

その後もときどき、広告に関係する仕事には関わることができましたが、
本紙に記事として書くことができたのは初めてではないだろうか・・・

「なぜフリーランスになったんですか」「夢は何ですか」と聞かれたら
これからは、夢は叶うよと言ってあげよう
私の小学生のころからの夢は、地元の国立大学の紹介文を書いたことで達成できました☆

次は、小説家の夢に向かって頑張りたい
人生残り少ない・・・