春から気になっていたひまわり畑
認知症について考える「おれんじ会」の活動の一環で、ひまわりの種を植えていて
そろそろ見ごろのようだとSNSで知った

ただ、ひまわり畑が満開であるということだけでもいいし、
その活動も紹介させてもらってもいいし、
そんな気持ちで現地へ


ひまわりもすてきだが

担当者さんの笑顔がすてきで!!!!

もし、私の家族が認知症になって行き詰ったらこの人に相談したい!!と思った
人は最後の最後に、極限状態になったら、一番頼りたい人を思い出すのだ
困ったとき、頼れる誰かの顔が思い浮かぶ自分でありたい
(もちろん、誰かに思い出していただきたいし、そのときは全力で力になりたい)

笑顔ってすてきだな
やっぱり、最後は笑顔なんだなと・・・理屈ではなく

この日はひまわりの撮影をしただけで、認知症患者やその家族との関わりなどを見ることはなかったけれど、こうやって認知症が理解され、誰もが最後まで人間らしく幸せに生きていけるようになればいい

一人、気になる人がいる
前々から言動がおかしくて、ついに姿を見せなくなった
仲が良かったから寂しい・・・

でも、どうしたらいいのだろう?
しょせん「何してるのかな」くらいで、いつか私の記憶から消えるだろう
逆にいえば、存在感だけはたっぷりある私だって、すぐに人から忘れ去られるのだ

思い出してもらえるというのは幸せなことで、
気にかけてもらえるのは幸せなことで、
それらを失ったときに気付くのは悲しすぎるので
私はやはり日々いろんな人と関わって、せめて記憶のすみに置いておいてもらえるよう
ささやかな接点をもっていよう
自分が認知症になったとき、私は忘れても、誰かが「あのひとSNS好きだったよね」「小説書いてたよね」「写真撮ってたよね」なーんて覚えておいてくれたら、それこそが、「人生の礎」なのかもしれない
遠い先のようで、実はそんな日はすぐそこに来ている
人生は「あっ」という間すらない