父の余命が2カ月と聞いて、退職を決断した

なーんていうのはかっこよすぎ
部下を持ち、為替に一喜一憂する営業職に疲弊していた私は
「逃げる道」が見つかったと思っただけだ

役職手当もあったので簡単に退職できない
私がいなくなれば部下は他の班に移動しても、上司の数が少ないのだから大変なことだ
成績もよかったので、3度も退職届を書くことになった

「退職の花道をつくってやる」と、上司が頑張ってくれて
これ以上ない形で退職できた
最後に着ていたスーツは淡いピンク色で
帰宅すると、その色と同じ色の花束が届いていてうれしかった

それでも新卒で入社し、あらゆることを教わった会社だ
辞めるからには、それ以上の人生を!

このとき書いた小説は、自分の中で一番大きい賞を受賞した(賞金20万円!)
AFP、FP技能士2級を取得するために大栄教育システムに4カ月通った
一発合格して、教育訓練給付金とお祝い金も出て、38万円中36万円くらい戻ってきた
その資格は今も生きている

自由になったので、父にはいろいろ・・・してあげられたのか分からない

ただ、たまたま登録した派遣会社から電通の契約社員の話が持ち込まれ、
7月からの採用が決まった
そのとき、父は死を待つばかりだったが、
震える弱弱しい手で、それでも身元保証人欄に名前を書いてくれた

そこから1カ月半ほどで
父が亡くなった

葬儀場には、「電通西日本」と書かれた花輪が2つも・・・
みんな「誰が電通なの?」と驚いている(私も驚いた)

長いこと会っていない親戚縁者が「電通に決まったんだってね」「Sony、NTTと並ぶ大企業、お父さん喜んでたよ」と口々に言う

超・忙しいのに、入社して間もない私のために、会社から数人が参列してくださった・・・涙

数カ月前に辞めた会社には知らせなかった
しかし、あとからどこからか知られて、支店長は「なぜ教えてくれなかったのか。今すぐ香典を持って行く!」と怒ったそうだ・・・
支店長すみません、ありがとうございます
(そのあとすぐ支店長も逝去される)

悲しいかな、父への最後にして最高の親孝行は「電通」入社だったようだ

もう、今となってはそれでもいい
父が喜んでくれたことが1つでもあったなら・・・

父は最後に「死んだら母と兄を頼む」と言い残し
365日一緒にいた母が、たった一晩、風呂に入るために帰宅したその夜に息を引き取った
たった一晩、私が付き添ったその夜のことだった

それは・・・

末期がんの想像を絶する最期

壮絶な痛みと苦しみと混濁する意識

まともに見ていられない最期を・・・

鎮静剤を打つしかない最期を・・・

生涯を共にした母に見せたくなったのだと思う

そして、これから生きていく私には見せつけておきたかったのだと思う

父が死んだと母に電話すると、ものの半コールで電話に出た
ずっと寝ていなかったのに、母は熟睡もせずにいた

私の家族は一丸となって父にできる限りのことをしたと思う(ことにする)

今日はあんなに、あんなに心残りだったであろう兄のところへ、母と行くから
父もきっとお浄土から下界へ降りてきて
一緒にいられると信じている

母と兄がこの世にいる限り、私には父がついているから、私に怖いものは何もない
自分の人生は、父のおかげで何も心配ないと確信している

2023年のお盆がくる